沖縄のカヌ-競技

  はじめに

 カヌ-の歴史はいたって古く、太古の時代まで逆登っていきます。川や海を渡るのに最 初は人間自身が泳ぐことに頼っていました。しかし、遠い距離を渡るのに発達してきたの が、丸木舟に相当するカヌ-という舟でした。  例えば、我が沖縄の糸満の漁師のサバニもカヌ-が発達したものです。最初は単なる大 木をくり抜いたものとおもうし、これが現在のエンジン付きのものになっています。又、 私達の遠い祖先の人々も、この大陸からはるか隔てた小さい孤島の島々に、大木同様のカ ヌ-に乗りかかり、長い年月かかっていつの間にか、この諸島に定着したのだろうと考え られます。祖先達は現在の南洋諸島で用いられているカヌ-により、現地点まで来たので あろう。以上のようにカヌ-は人間が<海>とかかわり、移動を考えたとき、その手段と なった最も原始的なものでしょう。しかし、現在人間が海から離れ生活の中心が<陸>に かわってきて、舟について忘れてしまいました。再度、カヌ-について、特に、沖縄のカ ヌ-競技について考えてみたいと思います。 HOME page

  Ⅰ,沖縄県のカヌ-競技

 沖縄県におけるカヌ-の普及と発展について見てみましょう。1965年の東京オリン ピックを契機として、ヨ-ロッパ、ソ連邦等の西欧、北欧、東欧方面で盛んであったカヌ -競技が沖縄に紹介され、普及されていきます。これは日本カヌ-連盟がカヌ-競技を広 めるため、直接には東京オリンピックに向けた選手強化のために、カヌ-競技の可能な海 岸県とか、河、湖水県を対象に選び、普及活動していく中で、長崎や熊本、滋賀、神奈川 県・・・・ と共に沖縄県も、強化県となつていったものであります。 沖縄県においては、当初県漁連が中心となり取り組んでいましたが、海を利用して活動 する競技は水産高等学校が適しているのではないかとのことで、沖縄水産高校にカヌ-ク ラブが設置され、最初のカヌ-競技が紹介されることになります。(水産高校において は全生徒の前でカヌ-のデモストレ-ションがもたれたとのことでした。)  当初、カヌ-の普及にあたっては、艇一つを購入するにも簡単にはいかず、各漁連や会 社等を夜中までかけずり回り、お金を集め、艇購入の為寄付に奔走していったり、お金は 作っても沖縄にカヌ-艇を取扱うメ-カ-もなく、当時の世話した人達や顧問の先生方が 大変な苦労したそうです。 又、競技の練習方法、指導方等につても何の資料もなく、一つの教習本を手アカの着くま で大事にしていったものです。  このように暗中模索の状態から出発して、現在では全国大会(国体)、西日本大会 等 で、活躍できるようになってきています。  次に県協会の設立の経過について述べてみます。 沖縄水産高校にカヌ-が紹介され、 数年間は普及期間と見ていいと思います。 その段階で徐々に九州地域の各県協会と連絡 、交渉がもてるようになり、ひんぱんに行き来するようになります。各県との接触は当然 に選手、コ-チの技術の向上が図られるようになりました。 沖縄のカヌ-も熊本、長崎 との合同合宿、強化練習等が幾度ももたれ、協会設立のはこびとなりました。  1969年頃、沖縄カヌ-協会が結成され、翌年に沖縄県体育協会に加盟しています。 初代会長には、渡嘉敷浩三氏が選ばれています。 この結成時期より関係者の間ではカヌ-競技についても、ようやく理解され、浸透してし ます。そして、ひんぱんに九州ブロック、全国レベルの大会に、積極的に参加するように

HOME page
なります。この時のエピソ-ドですが、記録的に見ると先頭との差が二百~三百メ-トル もつく言うことであり、一着はゴ-ルしても、沖縄県の選手はまだ中間を漕いでくるとい う風でありました。しかし、毎年大会参加をしていくことは、本土勢の選手達がもつ練習 方法や技術がいやおうなしに沖縄の選手に影響を与え、技術の向上を図らずにはおれませ ん。そして、それより十年後は沖縄の<技術>と<記録の更新>の苦悩、勝負へと流され ていきます。コ-チ、選手とも最も思い悩んだ時期であったのではないでしょうか。  また、その時には意外に手がとどきそうな位置にありながら、なかなか記録が短縮でき ず、苦杯に涙を飲んだ時でもありました。それゆえ、当然に外的な活動に気がむかず、協 会の活動も沈滞していきます。  この段階を通過することで、沖縄のカヌ-競技もレ-シングカヌ-に関しては日本のレ ベルに達してきたのではないでしょうか。現在、普及面では、まだまだ及ばないにし手も 記録の点からみるかぎり、決して見劣る必要はなく、他県と肩を並べられる所まできてい ると思っています。  しかし、協会も活動停止の状態がつづき、沖体協からも停止処分となります。1979 年頃になると、沖縄でも<沖縄国体>として、第42回の国民体育大会の開催誘致の運動 が起こり、カヌ-普及には協会の存在が見直されて、再度、県協会の再建が計られてきて ます。この頃になると、カヌ-競技も団体種目となる普及状況ができていて、日本カヌ- 連盟のすすめる各県協会の強化策と歩を同じくするものでありました。  そこで、1979年新沖縄県カヌ-協会が結成(会長、上原重蔵)されます。翌年、県 体協の評議会で復帰が承認され、再び正式に県体協の加盟競技団体となります。このとき には競技人口も増えてきています。根拠地も本部町(渡久地)、今帰仁村(運天)が新し く入り、港を中心にしてカヌ-シャンの要となります。さらに八重山にも支部ができ、特 にこの頃より、今帰仁の海洋少年団の参加があり、小中学校の若年層にもカヌ-を乗るも のが多くなり、カヌ-ポロの普及艇も第一歩となります。  この時点でカヌ-競技者人口数、200名弱となります。 まだ他競技に比較すれば、数と言えるものではないが、カヌ-競技については、その分だ け関心のある者が居ることは非常に心強いものあります。以後、県協会の活動もスム-ズ にいき、独立して県大会(カヌ-ポロ大会、カヌ-レ-シング大会)、カヌ-普及教室も 開催できるようになます。又、国体に向けての中央コ-チ招へい講習、審判講習・・・・ も積極的に持っています。 さらに、ツア-リング関しては協会員の相互の親睦を目的として、個々にもっています。 しかし、問題点として、残るのは県協会の組織的強化と運営面における予算の処置をどう 確保するかです。これは今後の大きな課題となるでしょう。この段階で一応、組織的体系 は整ってきたものの運営陣の弱さは否定できず、人材の養成も急務とならなければならな いのでしょう。未普及の競技としては選手、コ-チ監督、運営陣が重複しているので、各 担当の強化は今後の課題と言えます。
HOME page  1979年、協会の組織の体系の基礎になる<沖縄県カヌ-協会、規則>が決定されま す。つづいて、より活動の 密化を図るのに、1982年になって<県協会、協会委員会 規則>、<県協会、徴収規定>、<県協会、練習用具貸付規定>が理事会で審議決定とさ れます。そして、<沖縄国体>を四カ月後に控えた現在、我が協会も①選手強化、②審判 員、コ-チ監督の養成、③運営員確保と幾多の山積みされた問題がある中で努力、奮闘し ています。そのどれを取っても未普及という競技団体の洋場では困難をともなうものです が、協会の体制も急速に立ち直し努力する必要があると思います。とくに我がカヌ-競技 においてはおくれているので早急に手を打つ事が大事だと思うし、同時に関係団体や所轄 の行政官庁の皆様の奮起を促し、最優先して解決してもらいたい事を心からお願い致した いと思います。

 Ⅱ,カヌ-競技について

 カヌ-が東京オリンピックでわが国で最初のカヌ-種目として参加して以来、カヌ-に 対しては国民の間でも日増しに関心が高まってきていますが、今なお、カヌ-を狭いスポ -ツの枠でみようとする傾向が強いのです。スポ-ツとしてのカヌ-競技も(海のスポ- ツ)として、一種独特な魅力をもち、海洋スポ-ツが見直された現在、特にカヌ-はすば らしく、楽しさと冒険心を満足させるスポ-ツとして脚光をあびてきています。しかし、 カヌ-競技についてはまだまだ、理解に乏しく、国民のレジャ-段階までは入っていって いない。まだ、限られた人数と限られた地域、場所、時期でしか行われているにすぎませ ん。もともと、カヌ-は我々、先祖の足として、人類の歴史と共に親しまれてきたもので ある。 他のスポ-ツやレクレ-ションよりも、豊かな魅力を持っていると思います。  カヌ-の種類と楽しみ方と競技の面から分類すれば、下の図のようになります。

カヌ-の種類レクレ-ションサ-フ・カヌ-サ-フィン
セ-リング・カヌ-
ツ-リング・カヌ-カャツク
競技用カヌ-レ-シング・カヌ-
スラロ-ム・カヌ-カナディアン
ワイルドウォ-タ・カヌ-
カヌ-ポロ競技水上バスケット



HOME page

 ①レーシングカヌー

 レーシングには2種類あり、カヤック(K)、カナデイアン(C)があって、その表わ し方は頭文字の後に漕者の数を示して区別します。 そのちがいはカヤックにおいては、 カヌー艇を推進するパドルが両端に付いている水かき(プレート)で水をかきながら、水 をけることにより、艇を進めていきます。 そして、その舵は足により操作して艇の方向 をかえていく。(写真1)又、カナデイアンは片プレートのパドルを用いて、膝をたてて 片漕ぎにより水をけって進みます。このとき艇を片漕ぎで直進させるにわ独特なJ漕法と いう漕ぎ方をします。水上で方漕ぎをすると他方の反対側に艇は曲がりますので、それを 修正する方法として、漕ぎ終わりの所でJの字を書くことにより、外側に水をけることで 艇を元の状態に返してやることです。そして、カナデイアンには舵がついていないので、 すべてパドルの操作によって進行方向を整えていきます。(写真2)  レーシングは流れのない、河、ダム、港 等を利用し、一定の長さの距離と水路(コー ス)を決めて着順を競う競技です。これはオリンピックや国体種目となっていて世界的な 競技になっています。国体においては、男女の種目とも500mの直線コースであり、レ ース中には、他の選手に対して5m以内に接近した場合(コース幅6m~9m)、自己の 水路から離れてはずれた場合、転覆(沈)した場合にはそのレースだ失格となります。  そして、その艇は国際的に規格があって、最大長、最短幅、最少重量がきめられ、その 許容範囲があります。 それを逸脱すれば当然に失格となります。レースごと、その順位 の2位から3、4位間は検艇によりチェックによって、判定を行ない報告がなされます。  〈カヌーレーシング規格〉〈国民体育大会特別規則〉参照

HOME page

 ②カヌーポロ

 このスポーツは室内外でできます。艇長が短いポロ用カヌーに乗って、1個のボールを 1チーム5名、計10名の選手間で、長さが30m、幅がそれ以下(25m)の四方の競 技場(プール)内において、取り合い、競う競技です。そして、1m四方の標的(ターゲ ット)に投げ込み、ターゲットにあたれば1点の得点となります。そして、7分ハーフの 計14分の前後セットの時間で行ない、得点の多いチームが勝ちとなります。この時、競 技中にパドルが相手競技者に触れた場合には反則になるが、ボールを持っている競技者に カヌーごと体当りしても反則とはならない。一言でいえば、カヌーに乗りながら水球を行 なうようなもので、それにアメリカンフットボールが加味されているのが大きな特徴で、 魅力的です。  又、競技場の広さ、ターゲット、ボール、プレーヤーの数、服装、ボールの形状、パド ルの形状、競技時間、ペナルテイー、審判、競技方法 等については〈日本カヌー連盟、 カヌーポロ競技規則〉によって詳しく規定されています。 なじみの薄い競技であるが、 英国、ドイツで盛んで、日本には5ケ年前にホンコン経由で入っています。説明では理解 はむつかしいが、プールで行ない、競技に参加すれば短時間で納得できるとおもいます。 たとえば、水球の泳ぎをカヌーに乗って行なう競技と思えば、そんなにかけ離れるという 事はないでしょう。(写真3)

HOME page

 ③スラローム

 激流のある河川において、障害物を設置した間をいかに早く障害物にふれずに、滝壷や 岩場をさけながら、ゴールインするかの競技です。一定の長さの距離で時間を競います。 このとき、当然に障害ボールに触れれば、減点となり、これが時間換算となって短い時間 の順位を競うことになる障害物下りであるが、このとき、ポール、ゲートの数も決ってい て、指示ポジションで直進(チーム)、バック(リバース)とか1回転(エスキモ、ロー ル)の技術も大きな魅力となる。 レーシングとのちがいは転覆(沈)のときでも競技者 が艇から離れなければよいわけで、技術的に起き上がる事ができればよいことになります 。(写真4)

HOME page

 ④ワイルド ウオーター

激流の川下りで自然の激流を早い時間でゴールインする競技。一定距離の時間を競う。こ の③、④については沖縄では普及がされていない。現在、国民体育大会の種目とは、なっ ているが、沖縄ではまだまだといった状態です。沖縄の地理的なので、たとえば、川がな く、流れがあって水量が極端に少ない。沖縄でのワイルドウォ-タ-とかよつたのとして 、荒波間を乗るツ-リングというのがあります。これは水量の少ない河川でもけっこう楽 しめます。  水量豊かな河川がないの沖縄では競技としてのスラロ-ム、ワイルドウォ-タ-は不可 能と思います。   日本カヌ-連盟としては第42回海邦国体に向けて、競技規則を改正し、激流でなくて も可能となるよう検討中との事だが現段階では靜水や波浪の高い海ではできない状態であ ると言うことです。 将来には海でも見ることが近いだろうと考えられます。
HOME page

  Ⅲ,沖縄のカヌ-競技のレベル

沖縄でのカヌ-競技を考えるのに、沖縄水産高等学校のカヌ-クラブの存在はおおきい のがある。この沖水高のカヌ-クラブの西日本カヌ-選手権大会や全日本カヌ-大会の参 加を通じて沖縄のカヌ-が普及されていったのは先に述べたとうりである。沖水高カヌ- クラブでは日本カヌ-連盟が漕艇球会より分離し、独立してまもなく、1960年以後、 継続的に大会参加を果たしてきている。その中で、沖縄のかぬ-のレベルは確実に上がっ てきています。選手の層の拡大とクラブOB=会員の増加は参加選手の質の向上 すなわ ち、カヌ-競技についてのテクニック=技術面や漕ぎ方、特に小手先だけの技術ではなし に、身体を用いてダイナミックに漕ぐとか、フォ-ムを大きく、早く、強く漕ぐ手法が 選手個人だけで身に付いたのではなく、はやり大会派遣による体験が大きく左右している であろう。また、最も大きいのは競技における駆引きの競技のテクニックではないのか。 沖縄での選手層がうすく、正式の試合での駆引きが会得できない中では多数の選手の中で 、もまれるのは非常によいチャンスとなった。試合による選手相互の駆引き、精神力の集 中度、競技中の戦術とかの面で大きいのがあった。  日本国内においても九州ブロックはレ-シングカヌ-のレベルが高いのをもつています。 この九州の中に入って、競技をしていったのは沖縄のカヌ-の普及段階では運がよかった のではないかと思います。  沖縄からの参加は当初は普及を兼て、視察的な参加が強かった。それゆえ、試合におい ても予選落ちが普通であったのである。参加回数を重ねて、その成績も徐々によくなって きたが、やっぱり、九州地区のレベルは高く、なかなか入賞というまでは行ききれていな い。1982年になって、ようやく3位(屋宜一志)の入賞を取れたけど遅しにすぎたき らいがあった。現在ではちょこちょこ優勝、準優勝への進出も出てきているし、入賞まで あと一歩というところである。  一例を上げれば、1983年の全日本カヌ-大会において、カナディアン(C-1)の 成年の部で具志堅靖君がみごと決勝7位の好成績を出したし、また、島根国体においても 、沖縄らかの夏季国体参加者約50名中、みごと唯一の決勝進出、少年カヤック(K-1) の部で2名、高良利実、当山須賀子君の入賞をはたしています。  全国レベルの成績ゆえ、沖縄のレベルを見るのにいい資料になります。これからして、 沖縄国体の第42回国体も手前味噌的な自慢話でないと思います。これは当然に多くの問 題をはらみながらではあるが、今後できる限り良い選手の確保、すなわち体力の問題と練 習量や練習方法等の計画性を持ち、より世界的な記録や日本の一流の選手を模範にしての 指導することが大事をたるであろう。全国レベルの国体、世界選手権大会の成績を目標に おいて、その記録を見れば一日のバドリングの量は中学で30㎞、高校で40㎞、と言わ れている。そして、記録会や練習でのカヌ-速度は100mで24秒、250mで58~ 60秒、ゴ-ル500mで102~120秒と言ういころである。  すなわち、500mを加速を上げながら、艇が進んでけいるような体力の持ち主が必要 となるであろう。同時にトレ-ニングにおいても、この体力は無視できずけんすい、腕立 てふせ腕力、握力、持久力が成績に大きく影響していきます。 種々のトレ-ニング法を沖縄での方法として確立し、それによる強化日程のスケジュ-ル をきめて、具体的に強化選手を狙上に上げなければならない。まずは沖縄での練習方法を 確立する事が沖縄でのカヌ-競技のレベルを高めることにんり、よい選手を集めることに もなると思います。これからみれば、協会理事の責任はもちろん、コ-チ、監督の勉強、 奮発に大きいものがあります。レ-シングカヌ-について、国際、日本、沖縄の記録を比 較表としてあげておきます。


HOME page


   
沖縄とのカヌー記録の比較
・ K-1・ K-2・ C-1・ C-2年 度備    考
世 界 1-45'55"
1-33'28" 1-54'60" 1-40'80" 1982 年 世界選手権大会
日 本 1-48'98" 1-47'03" 1-51'52" 1981 年 滋賀県 国体
沖 縄 2-21'56"
2-39'12"
2-15'34"
2-35'59"
2-46'65"

2-24'04"
成年男子
女子
少年男子
女子
1982年
島根国体

 以上の記録はまだまだという観を禁じ得ませんが、その差は1世代よりはずっと短縮さ れています。図の比較よりみるかぎり、その差は、カヌ-の3~4艇身ぐらいである。我 々としてはこれからは優秀な選手も期待できるであろうし、必ずや克服されるものと希望 しています。沖縄県のカヌ-競技について空念仏に終らさないよう努力していきたいもの です。 カヌ-競技は未普及競技というところでいろいろ他競技にはない障害が多いと思います。 しかし、昭和62年の沖縄国体までには完全に取り除いていけるものと期待しています。


HOME page

  沖縄国体「海邦国体」カヌ-競技開催地決定までの経過

52 12/6 県体育協会評議員会において「昭和62年国体誘致」を決議
54 2/19 県庁議で「昭和62年国体誘致」を要請することを決定
  2/26 県教育委員会で昭和62年沖縄に国体誘致を決定
55 1/23 日本体育協会理事会において第42回国民体育大会開催申請順序
     を沖縄に決定する   3/17 県教育長より「昭和62年沖縄国体開催をふまえた本県における体育
     スポ-ツの振興、その基本的方針について」県振興審議会に諮問する。
  11/  競技団体希望調査、当協会は塩屋湾、金武ダム、漫湖の候補地を上げる
     那覇市の漫湖で進めるが環境問題で困難となる。
  11/  市町村の会場地調査では大宜味村、糸満市が上げる。
  12/3 日本カヌ-連盟公文第28号で承認
56 2/  競技会場地市町村配置で調整あり、今帰仁湧川、那覇市漫湖、塩屋湾で
     進める。しかし、県と連盟は糸満市に内定する。
  6/3 沖縄県体育協会に新加盟が承認される
  6/  日本カヌ-連盟に会場地候補の状況報告をする
  7/  開催地が糸満市漁港に決定する
  8/  連盟の事務局長 細谷氏来沖、糸満漁港視察。問題なしと了承
  8/10 糸満漁港視察、今帰仁村湧川を視察、村長に協力を求める
  11/ 細谷氏より第42回国民体育大会に向けての私信を受け取る
     1,審判員に付いて 2,競技種目について 3,貸与艇について
57 2/16 連盟公文第161号 「国体カヌ-会場地選定時における留意事項について」
  6/  再度、国体会場地選定の参考を連盟よりもらう
     糸満市に決定後、カヌ-教室をもつ。その後県と連盟の交渉が思わしくなる。
     国体事務局の調整は連盟案で進める
  7/9 市町村競技連絡会議がもたれる。
  7/31 正規視察の計画書提出
  9/  会場地決定に向けての資料作成、当協会は糸満市が前提
  10/ 競技会場の調整、練習用具の調整(案)
  10/31 再度、細谷氏来沖、沖体協長、事務局長が合う。以後、本部町(BG)案で
     で進める。
    1,コ-スの件 2,スラロ-ム、ワイルドウォ-タの件 3,BGへの協力
HOME page

58 2/28 沖国委第37号、県知事より第42回国民体育大会(夏季大会)において
     カヌ-競技を本部町に決定した旨の通知がある。
  3/  会場地を本部町に変更。糸満市、当協会とも新聞で知る。
  4/4 カヌ-競技中央競技団体 正規視察(視察員 細谷悦哉)。
     コ-ス外洋案で視察、報告もその案で了承。
  11/25 カヌ-競技審判員養成の講習会を持つ。コ-ス内側に変更する。
  12/23 県施設課でコ-スの設計協議する。
     県国体準備局、本部町、国健、県協会が参加する。

  12/24 沖縄水産高等学校カヌ-部艇庫が県競技力対策本部により整備される。
59 1/18 国健のコ-ス設計納品される
  4/19 文部省、日本体育協会の総合視察について本部町国健案で進める
  7/4 日本体育協会理事会において第42回国民体育大会開催を正式決定

  8/5 県民体育大会カヌ-競技兼国体予選大会を渡久地港で開催
  10/6、10/20 コ-チ養成講習会を本部町で持つ。
  11/12 カヌ-競技5者協議会(国体事務局、県体協、競技力向上対策本部、
     本部町、カヌ-協会)を県庁でもつ。
60 2/17 カヌ-競技審判員養成講習会をもつ
  4/1 競技役員第1次編成会議を本部町でもつ
  9/27 日体協の国体委員会において「海邦国体」の会期が正式に決定
     夏季大会 昭和62年9/20~23
  12/29 中央競技団体来県指導者講習会を本部町でもつ

61 3/8 第1回本部カヌ-レ-シニグ大会
  6/21 カヌ-競技審判員養成の講習会を持つ。
8/22 日本カヌ-ジュニアレ-シニグ大会(第42回国民体育大会リハ-サル)
     をBG外洋港で開催
62 6/7 第2回本部カヌ-レ-シニグ大会(渡久地港)
  8/10 カヌ-第2次正規視察
  8/11 夏季大会の県選手団が決定される。
  9/4 第42回国民体育大会カヌ-競技会組合せ抽選会(本部町中央公民館)
  9/13 カヌ-競技審判員調整会議を持つ。
9/16 第42回国民体育大会夏季大会選手団結団式(沖体協会館)
  9/20~23 第42回国民体育大会「海邦国体」夏季大会カヌ-競技会が開催される。
       ( 本部町BG財団 外洋港 特設カヌ-レ-シング会場 )
11/2 沖縄県選手団本部解散式(   )

HOME page


 
第42回国民体育大会「海邦国体」夏季大会カヌ-競技会の成績について
カヌ-レ-シング男女総合成績
女子総合成績
1位 14.5点
4位  7.5点
種別入賞 少年男子
成年女子
1位
3位

 
県カヌ-選手団の編成
成年男子監督
選手
末吉敏勝   コ-チ  高山朝広
屋宜一志、 當山克也
成年女子コ-チ
選手
松田 茂
當山須磨子
少年男子 監督
選手
島 武文、仲村渠進、平安山良也、平安山英樹、仲宗根誠
儀保和昭、又吉直也、山田 健、玉城周政、照屋 弘
少年女子コ-チ
選手
與那嶺好和
宮里由起子、宮里さおり、仲原暁子

 
各選手の成績
成年男子屋宜一志

當山克也
ダイナハ (株)
マルニ木工沖縄営業所
準決勝 4位 2,08,31
決勝 3位 2,14,81
予選 2,06,88
予選 2,15,13
成年女子當山須磨子ダイナハ (株)決勝 3位 2,24,81予選 2,29,57
少年男子 島 武文
山田 健
仲村渠進
平安山良也
玉城周政
照屋 弘
平安山英樹
仲宗根誠
儀保和昭
又吉直也
カヤックシングル(JK-1)
本部高
カナディアンシングル(JC-1)
本部高
カヤックシングル(JK-2)
本部高
カナディアンシングル(JC-2)
沖縄水産
カヤックシングル(JK-4)
北山高・沖縄水産
決勝 2位 2,5,26
決勝 7位 2,28,55

決勝 2位 2,01,48

決勝 1位 2,05,48

決勝 6位 1,54,09
予選 2,06,88
予選 2,34,97
予選 1,59,89
予選 2,16,50
予選 1,49,64
少年女子 宮里由起子

宮里さおり
仲原暁子
カヤックシングル(JFK-1)
北山高
カヤックペア-(JFK-2)
本部高
決勝 4位 2,35,91
決勝 8位 2,21,89
予選 2,45,94
予選 2,29,91



HOME page

  Ⅳ,練習のしかた

 ① 扱い方

スポ-ツマンにとっては、自分の用いる装身具は身体の一部である。それはカヌ-マン においても、同様で、その艇とバドルは自分の身体と同じでなければならない。カヌ-に おける艇とバドルには規格があり、それに従うことは言うまでもないが、できる限り自ら の身体にあったものを用いて、その装身具との不整合による損失を少なくするよう考慮し なければならない。それゆえ、特にバドルについてはその長さが身長に適当に合うもので なければ、当然にいい成績は期待できないであろう。普通、長さは自分が立って、頭の上 に手をのばし、バドルを立てて、それを手で押さえるぐらいの長さが最もいいのです。 又、バドルを最もいい状態に握り、そのまま頭にのせて、両手の腕が作る角度が直角とな るような長さとなる。(写真5) 又、カヌ-の艇の扱い方で大事なのは、練習中で一時的に陸に上がり体を息すむ時の艇 の置き方、艇を練習場まで持ち運ぶ方法保守管理のしかた等であろう。

HOME page

 まず、持ち運び方はただ持ってくればよいと言うわけではなく、十分に細心の注意が必 要となる。艇はそんなに重くはないが、グラスファイバ-製(FRP)であり、薄く破損 しやすいです。乱暴に扱えば壊れるのは当然としても、傷をつければ、スピ-ド性を競う スポ-ツとしては致命的です。艇の重量は軽いものであっても10㎏前後あり、遠い距離 運ぶには決して楽と言うものではない。又その長さも5~6mもあって運んで行くとき、 途中物にぶつけてしまう危険性があり取り返しはつきません。そりゆえにその持ち運びに は図のように2名時と1名の時のようにすればよい。後者は中間のコ-ミングに肩をいれ て、かつげばよい。この時に同時にバドル、ヘルメット、スタンド、その他の付属品等を 艇の中にいれて運ぶようにすればよい。(写真6)又、練習場における艇の置き方は堅い 物や石コロのような凸凹をさけて、できるかぎり、スタンドを用いて艇の底に傷をつけな いことである。それが準備できない時でも平タンな柔らかい、砂地を選び、又は草の上を 利用して行けばよい。又特に気を付けなければならないことは長い艇を肩から下ろすとき は艇の先が地面にぶつけないように十分配慮すべきである。そして、使用後はよく水洗い し、きれいに水をふいておく。たまにはワックスをかけてよく持をよくする心がけを持た なければならないだろう。特に沖縄においては海で使用するので、使っていると表面に塩 分が付着して固まってきて、水の抵抗となるので十分な注意が必要である。それで随時水 洗いしふくぐらいのいたわりが要求されよう。

 最後に練習後の保守、保守であるが、まず、太陽による直射日光をさけ、変形がないよ うに注意しなければならない。太陽が強い沖縄では野外に置くことはしてはいけない。必 ず、陰干し、風通しのよい場所が好ましい。できれば、台風時の取り扱い上でも艇倉庫内 保存が好ましい。取り扱い方にはとろとろあろうが一般的にはこれぐらいの注意で十分だ と思います。
HOME page  ② 乗り方

レ-シングカヌ-はバランスが非常に悪いので、乗るときの重心の取り方は初心者の第 一関門である。その乗り方の上手下手がレ-シングに関心を持ち楽しくなるかの入口とな ります。カヤック、カナディアンはちょっとニユアンスはちがうが、基本的には同じと思 われますのでカヤックについて述べてみます。まず、艇を岸に沿って平行に持って行きま す。その艇のコ-ミングの上にパドルを直交しておき、片手よりパドルとコ-ミングを同 時に保持して足を後ろの方からいれます。この時、バランスに気をつけつつ、重心が中央 にかかるように配慮して、他の足をいれてシ-トに座る。その過程でバランスが崩れると パドルのプレ-トにより水を蹴って元に戻す。それゆえ、プレ-トは最初で水面に平行と なるよう置いてないと乗ることが難しくなるので、この点考えておくべき。その後パドル を両手に持ち、シ-トの位置、体の姿勢を直し自分のフォ-ムにもっていく。この時、パ ドルの握り方は利手はプレ-ト面が水に入る時直角になるように固定し、他手はゆるく握 り可動できるようにする。(パドルの両プレ-ト面はお互いに直交している。)

 ③ バランスの取り方

バランスは長い練習量と経験により会得するものでずか、練習上教え方は艇の重心が低 い安定しているものから乗せる方がいいと思う。私達の順序としては初心者には長さが短 く、底が平坦なボロ艇より初め、底のより円こいレジャ-ボ-トレ-シング艇へと移って いった方がよい。レ-シング艇においても比較的バランス感覚のよいカヤック艇よりカナ ディアン艇といく。又ペア-艇を用いて熟練者と組んでバランス感覚を養うのも練習とし てはいいと思います。
 ④ 漕ぎ方

 略
HOME page  ⑤ 指導者の心得

 カヌ-競技は数少ない水上スポ-ツの一つです。カヌ-競技が普及していく段階では指 導者は最全の注意が必要だと思います。海に親しませ、海について理解を深くさせること が又、楽しいカヌ-の魅力を引き出せることてせす。しかし、反面海をあなどることは即 事故とつながります。それゆえ、海についての安全対策と自然についての理解はまずもっ て指導者の念頭に入れておくべきだろう。カヌ-競技というのが以上の競技性であること を熟知すべきでしょう。自然は季節や天候、その他、未知の要素に制約されて、急変する ので練習上、特に、注意を要すべきだとおもいます。
HOME page  ⑥ 注意事項

 A 絶対に一人では練習しない。
 B カヌ-艇の中に浮力袋をいれる。
 C 練習中は必ずライフジャケットを着ける。
 D 自分の体調を考慮し、無理な練習をしない。

 最小限必要な注意事項として、以上を上げたが大切な事は自分にカヌ-を教えて くれる先輩、親、指導者の注意事項をよく守ることです。
 ⑦ その他

 Ⅴ,人命救助法について

HOME page