おもろ探訪7勝連  勝連のアマワリと中城の護佐丸との関係は城主になる以前からの関係があったのではなかろうか? なぜなら、越来、 読谷、恩納、中城の地理をながめていて、嘉手納の屋良のアマワリと恩納の護佐丸の出身地を見て、ふっと思いついた。 こんなにも近いのである。この地での名声のある者が相手を知らないというのは思われない。立身出世の野望を持って いる者同士が相手の存在を知らないはずはないのである。そして、古代のこの地域は東西の貿易の通路であったであろうし、 東からの物資が読谷まで運ばれるのをよく見ていたのではないのか? 互いに将来は一城の主を夢見る野望家には東の 地が理想の地に見えたに相違ない。後に両者ともその夢は現実となった。これは私の妄想である。なんの理由もなく、 根拠もない妄想をあえて書いておくが。何気ない疑問なしには歴史も紐とかれないのであえて挙げておきます。  現在の「勝連村誌」と「中城村誌」は名実ともにアマワリと護佐丸の歴史を中心に展開している。その影響は今でも 大きいのである。また、要塞不落の城を構え、良港を要す。海の彼方の豊穣な国の思いは強いのである。良港より陸上 げされる物資は後の権力の基盤を形成したし、民衆の信頼を得る根拠にもなったと思う。両者とも一城の主の公務の最中に、 ふっとはるか昔の若き時代の夢を再現する感慨を思うこともあったであろう。 勝連城と中城城の上に立って東の風を受けながら、遙か海をながめているとニライカナイの海かなたが黄金に輝いたで あろうか? その海に思い描く夢はどこまでも延びていったであろう。もしかしたら、アマワリも護佐丸もこの地域の 主として終わるにはもったいない人物であったであろう。歴史の皮肉であろうが歴史は後戻りはできまいし、これも単 なる妄想となろう。 それにしても城壁からみる風景は一品の写真をつくる。一度は上ってみる価値のある場所である。  「第16巻 勝連具志川おもろの御さうし」天啓三年葵亥三月七日、より阿麻和利について詠まれたうたを上げる。 何首かのおもろからはよほど慕われている状況がうかがわれる。琉球王府の歴史には見えない別の側面を表している。 1129 さはちきよが節 一勝連の阿麻和利  十百歳 ちよわれ 又肝高の阿麻和利 又勝連と 似せて 又肝高と 阿麻和利 1133 こゑしのが節 一勝連わ てだ 向て  門 開けて  真玉 金 寄り合う  玉の御内 又肝高の 月 向て 又勝連わ  けさむ 今も  按司 選ぶ 1134 あおりやへが節 一勝連の阿麻和利  玉御しゃく 有りよな  京 鎌倉 此れど 言ちへ 鳴響ま 又肝高の阿麻和利 又島知りの御袖の按司 又国知りの御袖按司 又首里 おわる てだこす  玉御しゃく 有りょわれ 1136 うちいじへはふるけものろ節 一つるこ達しよ 寄り居れ  見る眼の 愛しやす  真人は 寄り居れ 又勝連のてだ 1140 一勝連の鳴響みてだ  百浦鳴響みてだ 又肝高の鳴響みだて 又勝連の板口 又肝高の金口 又上からは 照間浜 又下からは 浜川に 1141 おらおそい節 一勝連の阿麻和利  聞ゑ阿麻和利や  大国の 鳴響み 又肝高の阿麻和利