おもろ探訪8  具志川市のおもろ関係の地名は「角川日本地名辞典」の「47沖縄県」の部を見ると9 ケ所が挙げられている。ほとんどが「おもろさうし」巻16と巻14とに重複して載って いる。具志川、安慶名、上江洲、江洲、宇堅、喜屋武、平良川、高江洲、天願である。現 在の具志川全図と比べてみると具志川、安慶名、平良川はその発展の進み具合の変化はな いと思うが、おもろ時代には栄えていたが今はそうでもない所は海岸沿いの集落になって いる。当時の発展が何を基盤になっていたかを表している。海との生活関係が大きかった のではないか? 海からの収穫物と船による物資の交通が大きかったのではないか?   その地名の数としては他の市町村に比較して多い感じがする。考えようによれば、古琉 球時代には「具志川」というのが、それぐらい重要な地位を持っていたことの現われであ るのではないか? 越来と勝連間切に接し、中部圏の重要な地域を構成していたのであろ うか? 勝連や与那城が現在でも「ユタ」の名所であるのを踏まえて見ると、ノロの神女 組織上の関係からも有利な地位をもっていたのではないか? 勝連や与那城のおもろが按 司、領主、島の風景が詠まれたのに、具志川はノロや拝所、井泉、祭場に関する地名が取 り上げられているように思う。  「しけちなは」は具志川市の地名である。聖なる地の神庭の意で、そこの水は果報をも たらすと詠んでいる。具志川は井泉の「ウブガー」、「ニーミズ」のカーが多いところであ る。「具志川市の調査報告書」を見ると、なんと81ケ所にも及んでいる。当時の集落では 数箇所づつ持っていたことになる。 カーとは水が染み出すところ、そこにたまり所を作り、水をためる。だから、水をくみ 出す所であり、水浴びの場所であった。そこから水が流れ出すとカーラになり、たまりだ すとクムイになる。そして、カーになる前の水が居すわる所をゐという。堰またはダムに なろうか? 沖縄本島の背中の琉球石灰岩土壌から砂岩推積地帯の堺にかけて、カーがで きている。この石灰岩と粘土部との間の地層境界部では石灰岩提と呼ぶ急崖を形成し、湧 き水の出口となっている。具志川の中部から西側の海岸に傾斜した地層部を流れる水流が その水源となって、カーとなっている。 16−1159 いぺのいのりが節  一 聞ゑ具志川に   しけちなは 真清水   島世の果報清水 泉  又 鳴響む具志川に 16−1160 うらおそい節  一 江洲の杜ぐすく   八つ股が寄り立ち   上下 見物する 寄り立ち  又 江洲頂ぐすく  又 あてき潟原に    江洲のことは19首中4首詠われている。泡瀬に近い、砂地層の境界に存在した集落で ある。この取り扱いから見る限り、王府への海産物の貢物は江洲の割り当てであったであ ろう。 16−1168 こゑしのが節 一 安慶名の杜に   島頼め鳴る子   島頼め按司襲い みおやせ  又 安慶名の杜に   国頼め鳴る子 16−1169 こゑしのが節  一 宇堅しらとん   しらとんのむすめ   あおう はひ やう かふはひ      注)囃子ことば  又 同じく かはらたむ おうはめ  又 同じく 真玉玉 おうはめ 16−1174 うらおそい節  一 天願ののろの   たしちたしちしゃめかしや 見ちへ   良かるおらに  又 東方の庭に   たらしちゃめかしや 参照)「おもろさうし(下)」外間守善、岩波文庫  2004、5、24