FM放送・栗原美愛裁判判決について 2020/5/7 嘉数中学校区民生委員児童委員協議会の会長呉屋さんをパーソナリティに宜野湾市に関わるゲストをお迎えしながら民生委員児童委員の役割を知ってもらう番組です。 皆さん「民生委員の時間」なりました。今日が一九四回目になります。先週の方でも新聞のニュースの方から題材をとって話ししました。特に、一月の後半から四月五月にかけてコロナウイルスのニュースが大きく占めていましたので、コロナウイルスについて約三週間話をしてきました。今日は同じく三月末の新聞で大きく取り上げられた児童虐待について、ちょっと考えてみたいと思っております。この番組においてもいいですね、児童虐待についてはいろいろ取り上げてきました。特に去年の2019年の2月の方からで児童虐待について、話ししております。さらに三月七日で栗原美愛ちゃんの死亡についてのこと話ししています。そして三月一四日でアメリカの児童虐待の比較、児童虐待防止法についてのことを日本とアメリカの違いを話しております。これまで去年の方から何回となくこの問題を取り上げてきましたので、今日も児童虐待についてちょっと話ししてみようかなと思っております。 見守り声かけというのは、非常に大きな私たちの仕事の内容になっております。特に私たちの民生委員会の中で、目標というのか、心がけというのがありますが、その中で「児童憲章」ってのがあります。その中に私たちが児童について、どのような態度で接していくかとのがあります。三点あるけれども、一点目として「人として尊ばれる」ようにしようと二点目は「社会の一員として重されますよ」と三点目そして「良い環境の中で育て行かなければならないですよ」ってことで三つの心構えを持っております。そのことからすると今回の児童虐待については、非常に大きな問題だとことを捉えております。 特に、二〇一九年の1月に起きた栗原美愛さんの死亡虐待は、これについて去年非常に大きな問題で、何回も新聞で取り上げられました。特にこの栗原未亜さんというのは沖縄と関係しないとことでなくて虐待の中で一時的に沖縄県の糸満市の方でおじいさんの所で、生活をしておりました。奥さんが糸満市出身ですので、そこでやってたんですがその辺り再度虐待があっていうことですが、その虐待があった為、急遽また千葉県の方に移転したようです。そして学校の 身ですのでそこでやってたんですが、そして学校の転校というのもなされております。そして去年の1月頃に殺傷致死罪という形で死亡になったわけです。 それの裁判が去年から今年三月まで約一年かけて裁判がありました。その裁判の中で千葉地裁なんですが情状では考えられないほど凄惨で陰湿な虐待として捉えております。そしてその虐待に対して裁判所は求刑懲役一八年とということで検察の方から上がってきたんですが、実際の判決の方は懲役一六年と黒の判決に出されております。そしてその判決についても、非常に今の裁判所としても大きな問題と捉えております。というのは、普通であれば警察側の論告を見てみると、虐待事件で「殺傷致死罪」であればまあ一一年と「保護責任者遺棄致死罪」であれば一三年というのが一番重い罪状となっているんですが、これが今回の場合は懲役一六年ということを言い渡しているわけです。 特に、私たちは子供というのは親が責任をもって成長をさせるというのがあります。これは親の保護ということですよね。そしてその上で子どもとは最も一番自分の安全を守ってくれるのは家庭だというのがあるわけです。しかしながら、この栗原さんの家庭というのは、それがなされてなかったというのが現実としてありました。特に、お父さんの虐待ですね、判決文の中にもあるんですが、理不尽な不満のはけ口として虐待を常態化して言ったってことを言われております。そしてそれに対してお母さんも保護するけれども、お母さんも DV等の恐怖心があったもので、それについて、ついつい目を逸らしてしまったと。お母さんも子供を守ることができなかったことであります。指定あのお母さんについても保護者幇助罪で執行猶予が決まっています。母は保護することができなかったとそのために死亡に繋がっていったんだよってことで、お母さんの方も有罪になっているわけです。有罪になってるけれども罪状は猶予されているんですが、その方になっております。 それに対して裁判の内容を見てみると、どんなだったかと言えば、ほとんどお父さんは自分の虐待というのを認めてないわけです。その認めてない理由として、自分は子供を指導するために行ったんだと言っている。まあ随時言ってしてるわけです。あの裁判の中では、いろんなことを色々話ししたけれども、自分の不利になるものについてはほとんど、そうじゃないと認めてなく否定している。そしてその話の中であって状況と整合はしてないけれども、都合のいい部分だけをつまみ食いして、自分の行動の理由を説明していることになっております。特に子供に食事を与えないまま立たせていたりするとか、そして冷水のシャワーをかけたりしたというのがいろいろあります。そしてまた学校を休む時でも嘘の病気だってことを子供に言わしたり、その状況を先生方が把握できなかったということもありました。そして本当はお母さんが美愛さんの保護をすべきということを十分考えておれば、それが出来なかった。その現実というのは、なかなかお父さんの暴力からは守ることができなかったってことになっております。私たちは家庭というのを考える時に、民法でもあるが、家庭では親は子供を育てる義務があるって事になっているけれども、義務という時に、子供を虐待して聞かせていくということはやっていけないわけです。これは「虐待防止法」の中にもあります。それを自分の物のように取り扱っているというのが、私がお父さんを見る時の感想になります。私たちは子供というのは、あくまで一人の人格ですよと、まだ不十分な人格ではないけれども、そのゆえに、親というのは子供を保護して健全な育成をしないと駄目ですよと、さらに学習をさせることで人格も高めていくんですよと言われているわけです。そしてそれが社会の一員として子供を立派に人格のある人にするんだってことの捉え方があるわけです。それに対してお父さんの考えとしては、子供は自分が産んだんだから自分の言うことを聞けばいいと、または聞かなければ殴ってでも聞かせる必要があるんだと。強制しているわけです。これというのは、非常にわがままな自分勝手な親じゃないかなというのがあります。もちろん父親が家庭の経済的な主導権を握って家庭生活のお金を稼いでいるかも分からないけれども、家庭の中にいるお母さんと子供というのは、あくまで一人の人格であり、個人の人格があって、個人の考えというのを持ち、やっぱり重視して認めなければならないですよ。その辺り家庭の幸福が、いかに行くかというのをお互いが話をすることで達成しなければならないってこともあります。それがなされず、自分勝手な行為というをやっているということで、理由にはならないと思います。この辺で前半を終わりたいと思います。リクエストを聞いてから、また後半に入りたいと思います。はいお願いします。 曲「心のギター」が流れる。 はい今の歌が小田純平さんの「心のギター」でした。ちょっと寂しい、悲しそうな音色が非常に心に響く歌でした。 さて栗原美愛さんの虐待に対する裁判の判決が、懲役一六年となりました。もうちょっとそれについて話しみたいなと思うが、その前に、沖縄県の対応がありますので、それをちょっと話してからまた入りたいと思います。 えーっと沖縄県の方でも、去年の段階で「虐待から子どもを守る、子どもの権利を尊重する条例」というのを制定しております。これも県議会で「文教厚生委員会」の中で、全会一致で可決されております。特にその条例の内容としては、私たちの民生委員児童委員の「児童憲章」とだいたい同じだと思うんですが、日本国憲法に従って、常に内容で適切に養育されること、そして虐待から守れること、さらに自己の意見を表明することなどを子どもの権利だと定義をしております。それに対して、保護者には体罰や心身の傷つける行為を禁じることを責務として規定をしております。そして県や県民、民市町村だの関係団体にも施策の実施などの責務を課しているとされている。また児童相談所の体制も強化して、これまで対応できなかったことを改正しようとしております。 今、これが子ども虐待についての全国的な流れだと思っております。私たちは子供というのは決して親の所有物ではないですよと、子供には人格がありますと、そしてその人格を伸ばすために社会の一員として努力する必要がありますと。さらにまた社会的な環境というのも、私たちは、子供を健全な育成するように周囲の大人と協力することが必要になりますよーと、 そのことを県の条例でも出しております。そして千葉県で起きたこの栗原美愛さんの死亡事件とはどんなもんだったかというのを裁判の内容からちょっと話してみたいなと思っております。判決になるとですね。これは去年に起きたことというのではなくて、非常に長い経過があります。特に二〇一七年の七月の中で、学校でのアンケートの中では、夜中に起こされたり、叩かれたりしたと訴えています。それで児童相談所での一時保護をやったけれども、その保護したけれども途中で再度父親の元に返してしまいました。そしてまた、一八年になるとですね二〇一八年になると、長い時間にわたって立たせ続けたり、痣が残るほどの暴力もあったと、お母さん助けてくれということで被告の携帯電話にも動画が残っていたりしています。さらにあの一八年の九月から、おじいさんの家に引っ越すが、要するに沖縄の糸満の方に引っ越して、そして一時沖縄で学校を歩いていました。その中で美愛さんやお母さんが住むところに、再度、親父の方も来て虐待をしている。そこでまた瞼が腫れていたと、胸の骨が折れたとか、色々やっております。そして一九年の1月頃には外に連れて歩けないと考えて、被告は家族旅行をするとか形で、千葉県に引っ越しをしております。そして不満の矛先を、子供に向けて責任とれよとか、お前全部お前のせいだとか、美愛さんの服を掴んで床に引っ張り出して押し付けたりもしております。そしてまた一月中ですね食事を与えないとか、浴室などで立たすとか、五秒以内に服を脱げとか冷水を浴びるとか、うつ伏せにした背中に座って両手を掴んで体をそらしたりするということがやっております。 公判では美愛さんが暴れたので抑えたんですよとか、自分から立つと言ったとか、いろんなことで言い訳をしています。その内容というのも自分の言ってることが論理的に通っているとではなく、内容をつまみ食いしながら自分に有利になるように話ししていることとをしています。そして今俺やっているすべてのことをこれは親が子供を教えるためにやっているんだとのことを話しているわけです。これは日本の民法の中の懲戒権規定というのがあるんですが、その問題を一つの例として出しているわけです。しかしながらこの問題は先ほどから言ってるように、子供は一人の人格でしようとことを認めず自分の所有物として捉えているという問題があります。そんな形で子供を育てようとする時は必ず、今みたいに子どもの虐待が起きてしまうわけです。やっぱり僕らは親というのは子供を健全に育てる義務があると同時に、愛情をもって、そして子供が十分親を信頼する形の教育というのをしなければならないだろうと思っております。私たち民生委員も子供の「声かけ見守り」が非常に大きな仕事になりますが、そのような視点からやっぱり、今後も児童虐待については色々考えてみたいなと思っております。 今回は千葉県の小学四年生栗原美愛さんが亡くなったという裁判の判決を見てですね、私は感じたことを考えてみました。今後ともその面については、随時取り上げて色々皆さんと一緒に話してみたいなと思っております。今日はこれぐらいにして、また後ほどやりたいと思います。もし今日この放送を聞いて自分をこう思うよとがありましたらぜひ一つ電話でもよろしいですので、放送局まで連絡してもらえれば非常に助かると思っております。今日はこれにて終わりたいと思います。 民生委員の歌が流れる。